そうやって学んでいく
ついさっき中学生の子が1人今日の教室の利用時間を勘違いして終わる時間帯に来てしまった笑
きっとこの子は今度から掲示板をしっかり見るようになるはず。
明秀館では自分で教室の掲示板を見て行動することを当たり前としています。(小学生はぼちぼちでいいかなと)
一応、保護者の方にも教室利用時間はお伝えしているけれど本当はそれも必要ないかな。
見てなかったら自分で見に行く、友達に聞く、勘を信じる笑
などここでも自分で頭を使うこと。
「(お母さんが)聞いてあげるね〜」
この余計な一言がどれだけ子供の能動力を奪っているかを気づいてください。
「自分で考えて動きなさい」
これを常に意識して接するようにしましょう。
書籍貸し出し状況
貸し出し記入用紙がいっぱいになったのでズラリと並べてみます。
これからの「正義」の話をしよう
「今、ここ」から考える社会学
風に舞い上がるビニールシート
植物はなぜ動かないのか
理系の新常識
日本海のはなし
ロウソクの科学
ツナグ
植物でシャボン玉ができた!
ゾウの時間ネズミの時間
世界史を変えた薬
小さな南の島のくらし
ブラックホールってなんだろう
14歳の水平線
サメはぼくのあこがれ
小学5年生
ブラックホールってなんだろう
南の島のくらし
昭和十年の女の子
風に舞い上がるビニールシート
森の舞台うら
清貧の思想
君の膵臓をたべたい
中にはお子さんが借りていった書籍を保護者のかたが読まれて改めて購入されたケースもあります笑
手にとって少し読んでみて読む気がしなくなったら、そこで一旦読了してもいいんです。
その時にはイマイチ面白さを感じなかった本でも、時間を経ればまた手に取ることがあり、その時には全く違ったものに見え、そして自分の地肉となることも多々ありますから。
先取り学習の学習の弊害
お問い合わせの中でなかなか修正に時間がかかる種類に
「うちの子はかなり先取りしてるので算数(数学)は得意なはずなんですけど〜」
これがあります。
小学生のうちに数量的な感覚なしにひたすらパターンとしてのみ因数分解やら、平方根の計算やらをできることで安心感を持たれている。
まずはお子さんの筆跡をじっくりとみてあげてください。
途中式や途中の計算の過程を書いていますか?
それがないと今は何となく出来ていてもそのうちしんどくなってきます。
実際には出来ていなくともそれには気付けない。。。
しんどくなっていると本人が気付ける場合はまだいいんです。そこから修正していくことが容易ですから。
ただし、本人に躓いている自覚がないことがほとんどなのでそのまま月日は流れていって中学生になるともうかなりきついです。
学校の勉強にかなり余裕のある子なら先取りは悪くないですし、先取りしたことを今後繰り返す予定のカリキュラムであれば問題ありませんが、ただ先に進むことで得られた安心は後ほど大きな穴を空けることに繋がります。
一部の子を除いては(小学生のうちは)いたらずに予習の速度を上げすぎても基礎が積み重ねられずに後々に悪影響がでる場合もあります。
対策プリントありません
これは塾生というよりまだ明秀館に入塾されていない方に向けた内容になるかと思います。
以前にお問い合わせで
『定期テストの対策プリントは作成してもらえるのですか?』
とお電話でいただいたことがあります。
いえ、作りません。
これが明秀館のスタンスです。
今日も定期テスト前の子たちの勉強の様子を見ていると各自でやるべきことを考えて取り組んでいます。
もちろん中1の最初や塾に入ってきて最初のテストはある程度その子にあった形を提案していきますが、至れり尽せり感はないと思います。
学校の教科書
学校から配布されるプリント類
学校ワーク
これに、演習用として渡している塾ワークで定期テストは450点はきっちり取れます。
明秀館の塾内平均が実際にこれしかやってなくて450点を超えてますから。
もちろんただこれらを漠然とやってもらってるだけではないですよ。そんなんで点数が伸びたら苦労はないです。
ただ、手を貸しすぎることが弊害になって伸びないことが多々あることも知っておいてください。
親の姿勢は子供に乗り移る
昨日は夕方で本館は閉館でしたが、こちらで指定した子に関しては(定期テスト直前の中学生など)その後も別室に移動して気の済むまで勉強を出来る環境を整えました。
「先生、昨日は新館を準備してくれてありがとうございました。」
「講師の先生に色々聞けてすっきりしました。」
このあたりをきちんと伝えることが出来る子が非常に多いのが明秀館の自慢ではありますが、それはひとえにご家庭での普段からの接し方がうまく行っている証拠です。
保護者が普段から塾に限らずにそういった気持ちを持っているからこそ、お子さんにそれが浸透します。
このことだけに限らずに、お子さんは保護者の方が思っている以上に『親』を見ています。
いや、感じているというくらいが正解でしょうか。
親という字は木に登って立って(子供を)見るという成り立ちで説明されることもありますが、これは同時にお子さんは木の下から親のことを見ていたら、感じていたりします。